『スポーツは、世界共通の人類の文化である。』
スポーツ基本法より
言語が違ってもスポーツは一緒にプレイすることができます。
そのスポーツができることは「あたりまえ」ではないと考える日が年に1度必ずあります。
実際のところ何度も考えるタイミングはあるのですが、毎年同じ暦日で考えるのは8月6日だけです。
広島に生まれ育つと、「平和学習というものは全国どこでもこのくらいやっているものだ」と思うほど普通に行われます。
2019年にリニューアルされた『広島平和記念資料館』へは昨年2022年に足を運びました。
小学校の社会科見学で訪れたときはリニューアル前で、目を背けたくなる展示ばかりでした。
当時は気分が悪くなった記憶があります。
年齢的なものもあるのかもしれませんが。。
リニューアル後の展示は、モノローグを読み進めるような感覚で観覧でき、自分の中に落とし込みながら進むことができました。
展示の後半で、スポーツをすることもままならない環境を文字で表現されており、『平和』である環境だからこそスポーツができるのだなと考えさせられました。
スポーツを不安なくプレイできる環境であること。
経済的に継続可能な状態であること。
そして、心も身体も健康な状態であること。
他にも地域的なことや人間関係などさまざまな要因はあると思いますが、戦争という渦中にあればそんなことはお構いなしにスポーツの優先度は下がり、生きるための行動が最優先となるでしょう。
そんな先日8月6日にソフトテニスの試合がありました。
試合2週間前のサッカーの仕事中に左大腿直筋の肉離れとなり、1週間前のテニスの練習中に左足関節捻挫(踵腓靭帯損傷)となり、左足に体重をかけづらい状態でした。
痛みはなく、テーピングありで病院からのOKもあり、頭では踏み込もうとしているのですが、無意識のかばう動きがありました。
『平和』というテーマ、そして『健康』というテーマ、2つについてとても考えさせられた試合日でした。
結果は決勝進出ならずでしたが、ペアがいて、試合に出場できたことにまずは感謝です。
まぁ、人間は貪欲なもので、次に勝つためのトレーニングや練習、食事、課題が次々に思い浮かびます。
けがの原因の一つには、リカバリー不足のところもありました。
ソフトテニス、サッカー、フットサル、ランニング、自転車、トレーニング、睡眠の質低下、、、回復が追いついていないとはわかりつつ、続けてしまったので、これからは自分の身体のリカバリーも大切にしていきます。
「日々の出来事には意味がある」とは断言できませんが、日々の出来事を考え、次の行動に生かすための意味を持たせることはできます。
自分だけのことでなく、歴史やニュースからも行動に反映することはできます。
スポーツをできることは「あたりまえ」ではない。
原爆投下から78年。
「あたりまえ」と思えることは幸せなことですが、そうではないということを忘れてはならない。
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