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執筆者の写真Narumi

楽しいことと楽することは違う気がするんだよなぁ。



「楽しく生きたい。」

『楽しい』という状態はたくさんあると思うんです。


ただみんなでわいわいして『楽しい』。

なにか新しいことに挑戦するわくわくして『楽しい』。

ものごとを積み重ね達成したり試行錯誤したりする『楽しい』。

みんなでプロジェクトを作り上げていく『楽しい』。


学生でも社会人でもそれぞれの『楽しい』が存在すると思います。


そして、それは1日、2日で手にすることができるのか、数か月数年かけて手にすることができるのか、かける時間やコスト、過程もさまざまです。


冒頭にも書いている「楽しく生きたい。」という言葉は、たくさんの人が思ったり口にしたりしています。


私もその一人であることは確かです。


私の楽しいは、やりたいことのために積み上げているときやスポーツでできなかったプレーができるようになったときが個人としての楽しみです。


誰かのために動いているときは楽しいという感情というよりは嬉しいという感情が適切な気がします。


ですので、私は楽しく生きるために一般的に楽しくないと言われることもやります。

その過程があるからこそより楽しく生きられると感じています。


個人で働きだして、3年目となりますが、「自由に生きていてうらやましい。」という言葉をもらったことが何度かあります。


どんな人生もスタート地点は選ぶことができません。

スタート地点の環境は人生にとって大きな影響を与えます。

ただ、選ぶことのできない部分をどうこう言ったところで何も変わりません。


であれば、その次は自分が選べる部分をどう選択していくかです。

学び方の選択や働き方の選択、思考の選択などどんなに小さな選択であっても、どんなに大きな選択であっても、最終選択は『自分』です。


それすらも許されない環境下にある人々のことや時代のこと、地域のことを学び、ありがたい人生だと感じるとともに、選択できるのであれば自責の念を持ち、より楽しく生きられる『積み重ね』が必要なのだと考えます。


その積み重ねの段階を『絶望』としか感じない人もいれば、『希望』だとも考えらる人もいます。


今回書きたかったことは、目先の『楽しい』も感じつつ、先の『楽しい』のための積み重ねも必要であるということです。


なりたいものがあるのならば、やりたいことがあるのならば。



ダイエットやパフォーマンス向上などの身体づくりも一緒です。

「明日で何も食べられなくなるよ」という場合、今日好きに食べるでしょうし、「半年後大事な撮影があるよ」という場合、そこに繋げられる食事選択をするでしょう。



私は子どもの頃観た映画「天使にラブ・ソングを2」のフレーズが今も背中を押してくれてます。


「名をあげたければ、世に出たければ、目を覚まして前を見ろ。」


DVD版だと「もし大きな夢、叶えたれば、目覚めよ、今歩き出せ。」という和訳らしいです。


私はロードショーかなにかでテレビ版を観たので、「名をあげたければ…」の方が頭に流れ込んできます。



人それぞれの価値観がありますが、私は楽しいことと楽することを混同しすぎることは違うのではないかと考えます。



自分自身の『楽しい』が何なのかを考え、それに従ったらいいと思います。



「みなさんの『楽しい』は何ですか?」




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